パスポートのおもいで



羽田空港の出発ゲートにて、つれづれなくパソコンに向かっています。

余談ですが、空の旅の必需品はパスポート。

私は今のパスポートの他に古いものも合わせて2つを持ち歩きます。去年10年のパスポートを更新しましたが、古い方に英国のレジデンスカードが貼ってあるのでイギリス入国時はそれを見せないといけないためです。

この日本の出発ゲートでの感覚は、私にとって何とも妙な感じです。

慌ただしかった日々がついに終わり、とりあえず必要なものはスーツケースに詰めて、無事に空港に着いて、後は乗るだけ。

旅立ちのゲートには、期待と不安が入り交じりつつ、でもやっぱりわくわくが勝って、私はそういう雰囲気が大好きなのです。

いつもこうやって日本から旅立つ時、なぜか必ず思い出されることがあります。それはやはり最初にイギリスに留学した時のことです。

今でこそ、よく言われます。

学生時代も留学してたの?とか、昔から英語ペラペラだったの?(実は全然ペラペラではないんですが…)など。

その両方も全く違ってます。

実際は学生時代から「いつか海外で暮らしてみたい!」という興味はあったものの、縁もキッカケもチャンスもないままにいました。

短期留学や仕事などで、私の憧れの海外に旅立つ周囲の人を横目で見つつ、私も「いつかは…」と思い続けていました。

でも、ある時にふと思いました。

「いつか、っていつ?」

20代中頃のことでした。決めなければいつか「本当は行ってみたかったんだけどね…(結局行かなかった)」ということになりそうな気がしたのです。

それで決めました。数年でお金を貯めて準備して、イギリスに行くんだ!と。夢に先に日付だけ入れてしまいました。

当時の私は日本で住宅向けのインテリアコーディネーターをしていて、仕事はそれなりにやりがいもあり、実家の近くで自由に一人暮らし、今も関係が続く友人や同僚にも恵まれて、将来の話をするような恋人がいたり(懐かしい笑)、「○○だからできない…」そんな理由はいくらでもありました。

でも、今にして思えばそれらは「しない言い訳」であり、要するに「勇気がなかった」のでした。

「いつかしてみたい」という夢は、例えそれが数年後でも日付を決めれば急に現実的になりました。その日は来るのです。

決めてからは、まずは真剣に貯金スタート。ボーナスほぼ全額と毎月の貯金を重ねました。

銀行に足を運び、毎月ほんの少しずつですが増える貯金額を見る度に、夢に少しづつ近づけた気がして嬉しかったのを昨日のことのように覚えています。

そして英語準備。会社が提携する英会話学校にも行き、(効果の程は不明ですが、情報収集や同じ目的の仲間に会えたのはよかったです)自分ではいろいろと準備を重ねたつもりでした。

ついに旅立ったのは29歳のとき。会社を辞めると言ったら、ほとんどの人に最初に「寿退社?!おめでとう!」と言われました。

イギリスに留学すると言ったら、皆アゼンという感じでしたが、半分くらいは「頑張って!」と背中を押してくれました。でも半分くらいは「(いい年して)よくやるね…」という微妙な反応。

母親はずっと海外行きなんて反対でした。理由は「銃に打たれて危ない」

私はどこに行くのでしょう?笑 ちなみにイギリスは銃は禁止です。

でも、決めて動いてしまった「大晦日」直前の娘に、「シングルマザーでもいいからね」とわけのわからないススメを始め、明治生まれの当時元気だった祖母は「今は世界を見る時代だから行きなさい」と背中を押してくれました。「自分たちの頃にはそんな自由はなかったから」と。

日が近づくに連れて、楽しみだけれど不安は募りました。行きの飛行機の中では、妙にセンチメンタルで泣けてきて、カモフラージュに見た振りした映画がコメディ。

笑えるコメディ映画に泣き笑いして、隣の外国人の紳士がソフトでないティッシュをそっとくれました。鼻をかみたいようにでも見えたのかしら?

いざロンドン生活が始まれば、楽しいだけということは全然なく、自分の無知さと英語力不足に嘆き、大変なことの方がずっと多い日々でした。でも、不思議とその日々は「生きている」という実感と、多くの発見、素晴らしい出会いの数々に満ちたものでした。

一番に思うのは、価値観が変わったこと、でした。日本で自分にとって欠かせないと思っていたようなものは案外なくても大丈夫で、それと共に、今まで知らなかったけれど実は自分にとって心地よい新しい世界にも気付きました。前者には物質的なことが多くて、後者は多様性や自由でした。

水面下に広がる世界のように、潜ってみなければ見えない世界でした。それまでの自分が無知過ぎたのでしょう。そんな世界があることも知りませんでした。

「まだ見たことのない世界」が見たくなってしまって、「旅するように生きたい」なんて思ってしまったのです。

「こうあるべき」という基準ではなく、「こうしたいけど、それが実現できるのか?」と自主的に考えるようになりました。

コスモポリタン都市ロンドンで出会った、様々な生き方の様々な人々との出会いから多くを学びました。

会社を辞めて旅に出たり、ギャップイヤー(高校卒業後の大学に行く前に旅に出たり、ボランティア活動に参加すること)を取ること、一度社会に出てまた学び直したり、キャリアチェンジも普通です。未婚の母も、同性婚だって。

ここに来るまでの私は「いい年して…」なんて思ったりしていましたが、何てつまらないことを考えていたのかと思いました。もっと早く来ていれば…と思ったこともあります。でも「それぞれの段階で見えること」というのがあるのだと思います。だから「行きたくて行ける時」に来ればいいのだと思います。もちろん準備は大切です。

そこから糸の切れた凧のようになってしまった私(笑)は、帰国後キッチン&バスデザイナーとして働くも、今度は北米を知りたいとカナダに渡り、そこで2年半働きつつカレッジにも行き、結婚し、そのまま地球の裏側の住人になってしまいました。

去年更新した古いパスポートは、10年以上前に当時の会社でアメリカ研修に行くために作りました。

海外に興味があっても、勇気が全くなかった頃でした。パスポートを手にしただけでワクワクでした。

そこから初めてのイギリス生活のビザ、カナダのビザ、多くの旅先でのスタンプ…地球の裏側の住人になるまでの軌跡があります。

様々な想いや感情が複雑に入り交じった、とても思い入れの多いパスポートです。

空港の出発ゲートに来ると、2冊のパスポートを見ると、いつもそんなことが頭をよぎるのです。

少しノスタルジックになりつつも、そしてここに居る自分を幸せだと思います。自分勝手な行動だったかもしれませんが、それを認め、支えてくれた家族、友人の理解、協力、支えがあって、今の私があるのです。

そういえば、「銃で撃たれるからダメ」と反対していた母は、今ではすっかり様変わりし「これからは外に出なきゃ」とまるで昔から賛成していたかの口ぶり。笑 

この母が私を太平洋のように心が広く…と「洋子」と名付けたことが全てのきっかけだったのかもしれません。それにしても一番のギフトは健康な体に生んでくれたことでしょう。少々のことではダメージ受けませんし。笑

何はともあれ、そんな「終わりなき旅」はこれからも続きます。


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